『いつまでも君を待つ』





 深夜のアルケイディア帝国。
 その皇帝が住まう宮殿に備えられた、ジャッジ用の宿舎へ向かって、バッシュは歩いていた。
 自分が歩く度に、ガシャガシャと派手な金属音が響く。この鎧に身を包むようになって一年近くになるが、まだバッシュには慣れる事ができない。存在を誇示するようなそれは、自分の性格とは相容れないものがあって。
 ――……あれから一年か……。
 そう、一年。あの、壮大な物語を生きたような旅が終わりを告げてから、まだ一年だ。なのに、随分と昔の事のように思える。あの頃は、自分が帝国に身を寄せる事になるなど、思いもしなかった。自分の祖国、そして新たに忠義を誓った国、その二つを滅ぼした敵国に仕えることになるなど。
 だが、その最期に漸く心を通わせる事ができた弟の遺志と、そうすることが主君アーシェの……ダルマスカのためにもなると信じられたからこそ、バッシュはここにいる。ここで、聡明ではあるものの、まだ幼い皇帝を支えているのだ。
 ――……あの旅は、俺にとってはかけがえのないものだった……。
 成り行きで行動をともにすることになった仲間達との旅。決して楽なものではなかった。だが、それでも甦る思い出は悪いものではない。ヴァンとパンネロに対しては、自分の子供というには歳がいきすぎていたものの、素直に可愛い少年少女だと思えたし、最初こそバッシュにこだわりを持っていたアーシェも、旅が進むにつれ態度は軟化し、主君に頼られる誇りと喜びを取り戻す事が出来た。美しく妖艶なヴィエラ族のフランとは、それほど深い関わりを持つ事こそなかったが、彼女の持つ洞察力と叡智の感じられる言葉には、色々と勉強になることも多く、そして。
 ――……バルフレア……。
 最速の空賊。彼がいなかったら、あの旅は成り立たなかっただろう。思えば、自分はずっと彼に助けられていた。最初に出会ったナルビナ城塞での地下牢。自分の正体を知り、憎しみを隠す事なく向けてきたヴァンを冷静な言葉で抑え、同行を許したのは彼だった。その後ピュエルバでも、勝手な都合で巻き込んだ自分に、結局は力を貸してくれ……。
 ――考えてみたら、俺はもう、あの頃から彼に惹かれていたのかもしれない。
 口では冷たい言葉を吐きながら、行動は時としてそれを裏切っており、冷徹を装いながらも人の痛みを理解できる人物なのだということは、それで知れた。22歳とは思えぬ、ふてぶてしささえ感じさせる落ち着きを見せたかと思うと、存外に幼い、子供のような我侭を見せる。そのアンバランスさが魅力に、また危うさにも思えて、目が離せなくなったのはいつ頃からだったろう。
 ――……改めて思うと、不思議な男だ……。
 そんな彼と関係を持つに至ったきっかけは、酒が入った夜の成り行き。長い事軍に所属していた為、そういう関係があることは知っていたものの、今までは全くのノーマルな付き合いしかしたことのなかったバッシュを、奔放な生活を知るバルフレアが誘ったせい。普通であれば断るそれを受けてしまったのは、誘われる事で、彼への感情を自覚したからだった。多分バルフレアにしてみれば、手近な性欲処理の相手として選んだだけだったのだろう。何しろ砂漠や密林、渓谷を辿るような旅だ。若い男には色々な意味できついものがある。それでも、最初は快楽を貪るだけだった行為に、少しずつ感情が伴って来たように思われていたのは、自分に都合のいい勘違いだったのだろうか。月日が過ぎるにつれ、バッシュは自信が持てなくなって来ていた。
 その彼が、相棒のフランとともに要塞バハムートで消息を断ってから、もうすぐ一年。慣れぬジャッジとして暮らす緊張した日々に、彼の行方を探す余裕は得られず、また、探される事は彼の意に反するような気もして、そのまま月日だけがたってしまった。
 ――……無事でいるのだろうか。
 通信機から聞こえた最後の言葉は、あの男らしい不敵なものだった。無事でいると信じてはいるものの、一年と言う月日は、心の中に不安を呼び起こすには充分な時間だ。それでもバッシュは、軽く首を振って縁起の悪い考えを振り払った。
 ――俺は信じていると決めたのだ。彼は生きているのだ、と。
 だからこそ、待っていられる。彼がもう一度姿を見せる時を。
 バッシュは、重い兜の中で小さく息を吐いた。思い出に思考を支配されているうちに、いつの間にか到着していた自分の部屋のドアに手をかける。暗い部屋に身を滑り込ませた瞬間、バッシュは自分以外の気配に気づいた。
 ――賊か?
 咄嗟に武器を取る。しかし続けて聞こえて来た声に、バッシュは硬直してしまった。
「こんな時間まで仕事か」
 ――……この……声は……?
 信じられない思いで、声のした方向へ目を向ける。月光が降り注ぐ窓際近くに設えられたベッドには、座る人物の影。
 バッシュは震える手で兜を脱いだ。灯りを点けることはできなかった。そうしてしまえば、彼が消えてしまいそうな気がして。
「アンタのことだ、新しい主君にも、頭の固い忠義を尽くしているんだろうな。全くもって、想像を裏切らない男だよ」
 人を小馬鹿にしたような、言葉。一年前の彼と、変わらないもの。それを感じた瞬間、バッシュは手に持つ兜を床に放り投げてその人物を抱き締めていた。
「……バルフレア……!」
 感極まって彼の名を呼ぶ。想いのままに腕の力を強めれば、しかし飛んで来たのは罵声だった。
「おい! 離せ! てめぇ、自分がどんな格好してるのか解ってんのか!」
「格好……とは?」
 意味が解らず抱き締めたまま聞き返せば、バルフレアの怒りが増す。
「鎧だよ! 鎧! 鎧が当たって痛ぇんだよ!」
 言われてようやく気づいたバッシュは、慌てて抱き締める力を緩めた。
「す……すまない」
「……ったく……おまけに馬鹿力で締め付けやがって……俺を殺す気か」
「……すまない……」
 謝る言葉を繰り返すバッシュに、バルフレアは大きな溜息を吐く。
「謝る前に、離せ。これじゃ話もできないだろ」
「……………………」
 この言葉に、バッシュは無言を返した。離したくないというのが本音だから。
「おい、バッシュ」
 バルフレアの声が硬くなる。バッシュは、絞り出すように答えた。
「……このままではいけないだろうか」
「ああ?」
「……離したら……君が消えてしまいそうで……恐い」
「……………………」
 これは自分に都合のいい夢なのかもしれない。抱き締める手を解いたら、目が覚め、毎日迎える味気ない朝が訪れてしまうかも。そんな正直な恐怖を呟いた言葉に返されたのは沈黙。ついで、呆れたような溜息が落とされた。
「……本当に変わらないな、アンタは。馬鹿正直すぎると、ジャッジの世界じゃ生きていけないぞ」
 柔らかいバルフレアの声。バッシュは再び抱き締める手に力を込めようとしたが、バルフレアの手が鎧の胸を押さえた。
「とにかく、離せ。今のところは消えるつもりはない」
「……本当か?」
「信じる信じないはアンタの勝手だ」
 そう言われては、離さざるを得ない。バッシュは漸く腕の中からバルフレアを解放した。同時にいかにもホッとしたような息が唇から漏れる。
「ま、再会の喜びを情熱的に示してくれて、光栄だよ、将軍……今はジャッジマスター閣下か」
「……ああ。不思議なものだ。敵国に身を寄せる事になろうとは。一年前には思いもしなかった」
「そうだろうな。ま、ラーサーはガキながら、なかなかの人物だ。仕え甲斐はあるんじゃないか?」
「ああ。ノアが言っていた通り、良い主君だ。ラーサー様を支えることが、ひいてはダルマスカを支えることだと信じている」
「アンタなら、そう考えるだろうな」
 興味がないようなそっけない口調ながら、その声はバッシュの行動を認めるように優しい。月明かりがぼんやりと輪郭が浮かび上がらせるその姿を、バッシュはじっと見つめた。本当に、一年前を変わらない。瀕死の弟に付き添っていたバッシュの後ろを、フランとともに駆け抜けて行った、最後の姿と。
「……無事だったのだな……」
 確かめるように言えば、バルフレアは肩をすくめる。
「おかげさまで」
「フランは?」
「変わりない。フランの奴に何かあったら、俺だって無事にすんじゃいない」
 それは、相棒との絆ということだろうか。バッシュの胸がちくりと痛む。この男と、そこまでの絆を結べるあの美しいヴィエラが、羨ましい。
「……そうか、良かった」
 そこで、バルフレアがちらりとこちらを見た。垂れ気味の目尻が,少し意地悪く笑う。
「信じていたんじゃないのか?」
 ついで目の前で振られたのは、一枚の紙切れ。
「それは……」
 シュトラールから降りる直前、短い時間で殴り書きのようにしたためた、バルフレアへのメッセージだった。彼が無事ならば、必ず艇を取り戻しに来るだろう。女々しい男だと思われることを覚悟で残した、バッシュの気持ち。
「『君が生きている事を信じている。私はいつまでも君を待つ』 よくもまぁ、恥ずかしげもなくこんな言葉を残せたものだ」
「……………………」
 改めて言われると,確かに恥ずかしい。だが、あの時は真剣だった。
「ちなみに、これを見付けたのはフランなんだがな。気の毒そうな溜息を吐かれちまった。アンタも残すなら、もっと気の利いた言葉を残してくれないか」
「……すまない……」
「……ま、そんなアンタだから、ここに来る気にもなったんだがな」
「バルフレア?」
 と、すっ……と手が伸びて来た。バッシュの短い金髪をするりと撫ぜる。
「融通のきかないアンタのことだ。会いに行かなければいつまでも俺の事を待っていそうだからな。それは寝覚めが悪い」
「ああ……きっと永遠に待っていた。たとえ……魂だけになろうとも」
 あれは、ギーザ草原の集落だった。指輪を取り戻してほしいと言う依頼のために行ったモブ退治。依頼人が既に亡き存在であり、想いが彼をその地に留まらせていたのだと知ったのは、集落の長である老女の話を聞いた時だ。多分自分も、同じような事になるだろう。待っていると決めた言葉を貫く為に。
 バッシュの言葉に、バルフレアは口元を緩ませる。
「ハ……そいつはますます寝覚めが悪い。来て正解だったな」
それからさらさらと、まるで動物を撫ぜるように、バッシュの髪に触れながら。
「髪、切ったのか」
「ああ……ノアが短かったからな」
 弟と入れ替わる為に、切らざるを得なかった。女性ではないのだ。別に髪にこだわりはない。
「少しはさっぱりしていいんじゃないか? アンタは性格だけで暑苦しいからな。だが」
 バルフレアは一度言葉を切り、続けた。
「俺は……アンタの暑苦しい長い髪も嫌いじゃなかったが」
「君がそう言うなら、また伸ばそう」
「やめとけ。この帝都じゃ、どんな噂話が出て来るか解らない」
 バルフレアにとって帝都は、自分が生まれた故郷でもある。名門貴族の子息だった彼は、帝都がどのようなところかなど、バッシュよりも知っているだろう。おまけに、彼はジャッジでもあったと言うのだから。
「……そうか」
 バッシュが頷けば、バルフレアは笑う。月明かりの下、本来ならば綺麗なヘーゼルグリーンをしている瞳は色を失い、しかし柔らかくこちらを見つめた。バッシュはそれに誘われるように、今度は自分が手を伸ばす。先程怒りをかったことを思い出しながら、そっと彼の肩口に自分の顔を埋めた。同時にふわりと香るのは、あの旅の最中、傍らにあったバルフレアの香。
 ――ああ……この香は……。
 綺麗好きの彼は、常に自分の身なりに気を遣っていた。この香もその一つ。嫌味ではなく漂う程度の香りは、だがしっかりと存在を主張する。バッシュはこの香に安心した。これが夢ではないのだと、教えてくれるようで。
 と、バルフレアはバッシュの腕を解かせた。そして立ち上がる。
「さて、これで用件は終った。俺はそろそろ退散するかね」
「バルフレア?」
「空賊が皇帝に面会、ってわけにもいかないからな。ラーサーにはアンタから宜しく伝えてくれ」
「待ってくれ!」
 窓に手をかけるバルフレア。本当にあっさりと去ろうとする彼の腕を、バッシュは掴んだ。
「もう……帰ってしまうのか?」
「バッシュ?」
「まだ、ここに居てほしい。我侭な男だと罵ってくれて構わない。今夜は私の……傍に居てくれ」
 この言葉に、バルフレアは笑った。
「引き止めなかったら、撃ち殺してやるとこだったぜ」
「バルフレア?」
 それからバルフレアは、足を戻してバッシュの前に立ち、その首に両腕をかける。
「アンタもいい加減、その無骨な鎧を脱いだらどうだ? 俺は冷たい金属に抱かれる趣味はしてないんだが」
 誘う言葉は彼らしくて、バッシュもフッ……と笑った。
「君ならば、それも良い、くらいのことは言いそうだが?」
「試してみるか? 案外イイかもしれないしな」
 乗り気になりそうなバルフレアに、バッシュは慌てる。それが表情で解ったのだろう。バルフレアは吹き出した。
「冗談だ」
「……君が言うと冗談に聞こえない」
「なら、さっさと始めてくれ」
 言いながらバルフレアは、バッシュに口付けた。





 まだ早朝というにも早い時間、バッシュは静かに身支度を改めるバルフレアを見つめていた。
「……もう、行くのか」
「ああ。気づかれるようなヘマはしないが、さすがに陽がのぼると、人目に付きやすい」
 それからベッドのバッシュを振り返り。
「アンタだって、空賊の男が部屋に通ってる、なんて噂が流れたら困るだろ」
「私は構わないが」
「ラーサーが困るだろうが」
 確かにそうだ。腹心とも言えるジャッジマスターの醜聞は、足元をすくいかねない。
 思わず黙ったバッシュに、バルフレアは笑う。
「アンタは本当に思ってる事が顔に出るな」
「君の前でだけだ」
「ほぅ、そいつは光栄な事で」
 最後にポーチを腰に付けるバルフレアに、バッシュは言った。
「……また、来てくれるか?」
「さぁ?」
 否定も肯定もしない様子が憎らしくて、バッシュはバルフレアに腕を伸ばす。後ろから抱きすくめれば、漏れる不満そうな声。
「……おい」
「待っている」
「あ?」
「君が来てくれるのを、いつまでも待っている」
 それからバッシュは笑いながら。
「私に待たれ続けるのは、寝覚めが悪いのだろう?」
 この言葉に、バルフレアは舌打ちを返した。
「余計な事を言うんじゃなかったな」
 それからバッシュの頭に腕を回し、引き寄せると口づける。
「勝手にいつまでも待ってろ」
「……ああ、そうする」
 バッシュの答えに、バルフレアが洩らすのは苦笑。
「おら、いい加減離せ。俺はしつこい男は嫌いだ」
 拘束している腕を叩かれて、名残を惜しみながらバッシュは腕を解いた。途端にあっさりとすり抜けて行くバルフレア。優雅な足取りで窓際に立つと、それを開いた。
「まだ早い。少し寝とけ。じゃあな」
 今度は引き止める間もなかった。バルフレアは窓から身を躍らせる。それを追うようにバッシュが窓の外を見れば、しかしそこには早朝の冷たい空気と、薄くなりかけた闇しかなく。
 小さな息を吐きながら、バッシュは窓を閉めた。先程まで自分の腕の中で、バルフレアが身を横たえていたベッドを眺め。
「……眠れる訳がないではないか……」
 彼の香りが残るベッドで、眠れる訳がない。だが、それが自分にとっていかに幸福なことかを同時に自覚した。昨日までの、彼の安否を思い、一年前の記憶の中の彼の姿を思って眠れぬ夜ではないのだから。
「……俺は君を待っている……バルフレア……」
 約束のように呟くバッシュが立つ窓の外では, 空が少しずつ白み始めていた。

いつまでも君を待つ 了
(06.10.01UP)






バッスがへたれだ……。
バルは、姫様の時は会いにいかないのに、バッスの時は会いに行くらしいです(笑)
空賊だから移動手段はあるしね。
そして……やっぱりバルはもっとカッコイイのにと呟きつつ書いていたのは内緒(バッスはいいのか)










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