『この国に女はいらないのです』
 あの方は……艶やかに微笑んでそう言った……。

償い



 房室の中で、自分の唯一の主人が微笑む。その目線の先にいるのは自国の冢宰。ゆったりと、穏やかに二人は語り合う。それは、本当であれば喜ぶべき光景なのだろう。自国が落ち着いて来た証拠とも言えるのだから。
 だが……それを見つめる景麒は、心穏やかではいられなかった。
 いつの頃からだろう。主上──陽子の側に自分以外の誰かを認める度、目眩がするような激しい感情に襲われるようになったのは。その唇が自分以外の名を呼び、笑顔を向ける度、自分の心の中に、激しい痛みが走るようになったのは。
 ──主上……。
 蓬莱の地から、半ば強引に連れて来た少女。最初の印象は、折れそうな儚い弱々しい娘だった。自分でも思ったのだ『またか……』と。また、自分は前と同じ轍を踏むかもしれない、と。
 だが、捕われた自分を救いに来た少女は、見違えるような強さを備えていた。あの時景麒は確かに見たのだ。自国の将来。荒れたこの国を救うだろう王の姿を。
 そして、それは間違いではなかった。
 陽子は、慶国を豊かに導いている。まだ、完全に安定をしているとは言い切れないものの、農作物の収穫は年々伸び、人口も増え、店には商品が妥当な値で並ぶ。人々は笑顔を取り戻し、各々の未来を語り出している。慶は陽子のもとで、確かに立ち直りはじめているのだ。
 ──……そう……その頃からだ……私が……この想いを抱き始めたのは……。
 以前からも、陽子の回りに人が絶えたことはなかった。陽子は人を惹き付ける。また、それが王たるものの資質でもあるのだろう。そして……国が安定を見せ始めた今、陽子が自分の幸福を誰かと分ち合おうとするのを、一体誰が責められようか。
 ──……責めることなど……できはしない……。
 たとえ陽子が望んだのが、自分ではなくとも。
 ──……私は……麒麟なのだから……。
 王と麒麟は半身同士。しかしその結びつきは一方的なものでもある。何故なら、麒麟にとって王は絶対であるにも関わらず、王にとって麒麟はそうではないのだから。景麒が陽子を求めるのと同じ量で、陽子が景麒を求めるとは限らないのだ。
 ──だから……私は受け入れるしかないのだ。主上が望み、選んだ存在を。
 と、房室で陽子が笑い声をあげた。涼やかな声。それに冢宰がゆったりと微笑む。何かを囁き、陽子が軽く頬を染め──。
 景麒はそれ以上を見ていられず背を向けた。陽子は自分には、あのような女性らしい柔らかい表情を一度も見せてくれない。自分に見せるのは、堂々とした風格を備えた女王の表情。言葉も、笑顔も、王としてのそれだ。自分達の関係を、絶えず景麒に確認させるかのように。
 ──……主上……貴女にとって私は、麒麟でしかないのでしょうか……?
 愚問だ。聞かずとも解っている。そして、この自分の気持が、麒麟として抱くべきものではないことも。
『景麒……私はお前にとって、慶の王でしかないの……?』
 ふと、甦る切ない女性の叫び。それは……前の主上、予王。
『お前は私の麒麟でしょう? 私のものなのでしょう? どうして……私の気持を解ってくれないの?』
 かの女はそう景麒を責めた。彼女は王である前に、一人の女として景麒を愛した。道を失う程に。
 ──あの時……私には貴女の気持を理解することができなかった……。
 予王の気持ちは、景麒を戸惑わせるだけだった。景麒にとって彼女は王。大切な、失えない存在ではあったものの、それ以外ではありえなかった。そう、女として見ることはできなかったのだ。
 その結果、彼女は──。
『慶に、私以外の女はいらないのです』
 そう言った時の彼女を、景麒は忘れることはできない。艶やかに微笑んでいた……かつての王。
『お前に、私以外の女はいらないのです。そうすればお前は、私以外の女をその瞳に映さない。私以外の女に、言葉をかけることもない。そうでしょう? 景麒』
 狂気を浮かべた彼女の微笑み。あの時の景麒には、どうしても理解できなかった。その感情。だが……。
 ──今は……解ります……。
 どうしてなのか、景麒には解らない。だが、陽子に対する気持ちは、予王に対していたものとは違うということだけは解るのだ。陽子が自分の傍らにいる時の喜び、そして苦痛は、今まで感じたことのないもの。頭で理解できるものではないのだ、この感情は。
 ──そう……今は解り過ぎる程に……解ります、貴女の気持ちが……。
 大切な存在を独占できない苦痛。決して返されることのない想い。陽子にとって、景麒は麒麟。景麒にとって、予王が王であったように。
 ──貴女は……こんなにも苦しい想いを抱えていらしたんですね……。
 できることなら……かの女のように陽子の周囲から自分以外の存在を全て排除してしまいたい。自分だけを、あの強い碧の瞳に映し、自分の事だけを、その唇にのぼらせたい。この腕に閉じ込めて、陽子の世界を自分だけが占め──。
「景麒!」
 びくりとした。近付いてくるのは紛れもない王気。振り返れば、こちらへ走ってくる陽子が見える。
「……主上……」
「さっき部屋に来ただろう? お前の後ろ姿が見えたんだ。どうしたんだ? 何か用があったんじゃないのか?」
 ──わたしを……追ってきてくれた……?
 愚かだ、と思う。だが景麒は、陽子が自分を追って来てくれたことにどうしようもない喜びを感じた。たとえ……それが景麒の望む理由ではないにしても。
「……いえ……火急の用件ではありませんので……お邪魔をしてはと……」
「そうなのか? でも、声くらいかけてくれてもいいだろう? それに邪魔って……浩瀚のことを気にしてるのか?」
「……お話が弾んでいらっしゃるようでしたので……」
「あ……うん、浩瀚の話は面白いし、色々と勉強にもなるよ。たとえ世間話でもね。浩瀚の物の考え方とかは、すごく参考になる」
「それは……よろしゅうございます」
「でも、別にそんなに大切な話をしているわけじゃないんだから、声をかけてくれてもよかったのに」
「……申し訳……ありません」
「謝るなよ。責めてるわけじゃないんだから。ただ、あんまり遠慮はしないでくれよ。お前は私の麒麟なんだから」
 目眩がした。陽子の《麒麟》という言葉に。
「それでなくとも、お前は言葉が足りない……景麒?」
 景麒の様子に気付いたのか、陽子が下から覗き込む。
「おい! 顔が青いぞ! 大丈夫なのか!」
 腕が掴まれる。同時にふわりと漂う陽子の香りと、視界に広がる髪の紅は、景麒を狂わせていくようだ。
「景麒! しっかりしろ!」
 耳に聞こえる陽子の声。それが頭の中で響き、景麒は歯を食いしばる。心地よい声なのに、それは激しい苦痛を生み出し、尚も景麒を狂わせて行く……。
 景麒は思わず陽子に手を伸ばした。抱きすくめようと。
「景麒?」
 不思議そうに自分を見上げる碧の瞳。向けられる信頼は、今の景麒にとっては喜びにはならない。せめて……手を伸ばす自分に怯えてくれれば、まだ……。
「陽子! そそろそ遠甫がいらっしゃる時間よ!」
 かけられた声に、陽子が振り向いた。するりと自分から擦り抜けて行く。
「祥瓊」
「あんまりお待たせしては失礼よ」
「ああ、そうだね。でも……」
 陽子は景麒を見る。心配そうな顏に、景麒は頭を下げた。
「私なら大丈夫です、主上」
「本当に?」
「はい、それに使令もおりますから」
「……そうか? もし仕事が残っているなら、ほどほどにして今日は休めよ」
「御意」
 陽子は頷いて歩いて行く。祥瓊もまた、景麒に立礼をし、陽子の後について行った。景麒は二人の姿が見えなくなるまでその場に立ち尽くし──。
 ──私は……何を……。
 今、何をしようとしたのだろう。陽子に手を伸ばし、その細い身体に触れ……。
 ──主上……やはり私は、貴女の麒麟でしかありえないのですか……?
 解っている、答え。望む想いは返されない。自分が予王に返すことができなかったように。
 ──……いっそのこと……。
 いっそのこと、と景麒は思う。王と麒麟は互いの半身。麒麟を失った王は、永らえることはできない。決して望む想いが手に入らないのなら……そして他の誰かが手に入れるのなら……自分の生命で陽子を絆してしまおうか。そうすれば陽子は、誰のものにもならない。自分とともに……。
 そこまで考え、景麒はハッとした。この想いは、麒麟にあらざる想いだ。国を、民を愛し、慈しむ慈愛の生き物が決して考えてはいけない……いや、考えられるはずのないもの。なのに自分は……。
『お前が……麒麟でなければよかった……』
 予王の声が甦る。
『どうしてお前は麒麟なの? どうして慈愛の仁獣なの? お前は私の麒麟なのに、私だけのものじゃない……! お前が麒麟でさえなかったら、私だけのものになったかもしれないのに!』
 言葉の矛盾に、あの女は気付いていなかった。それを正すことも、景麒にはできなかった。ただ……その言葉を受けるだけで。
 ──けれど……私はもう、麒麟とは言えないのかもしれません……。
 こんな醜い思いを抱く麒麟がいるはずがない。国のことも、民のことも考えず、自分の想いだけを貫こうとする麒麟など。
 ──……主上……。
 呼び掛けたのは、予王。陽子ではない。
 ──貴女は……どうして私を置いていかれたのですか……?
 彼女の想いに応えることはできなかった。でも、彼女とともに逝くことはできたのに。
 ──私を愛しているとおっしゃってくださるのなら、ともに連れていって欲しかった……。何故、置いていかれたのです? 何故……?
 そこで、思い出したのは、失道の病の床で見た、予王の姿。
 ──あの時……。
 あの時、彼女は何かを見つめていなかったか? あれは……確か水偶刀。
 過去と未来を映す刀。あの時彼女は水偶刀に何を見たのだろう? そして……その後の景麒の記憶にあるのは、今までの狂気が嘘のように、凪いだ穏やかさで自分を見つめた……予王。
『蓬山にまいります』
 静かに、かの女は言った。
『お前は……生きなさい、景麒。生きて、新しい王を選ぶの』
 景麒は苦しい身体を引きずるようにして彼女にすがった。だが、彼女を止めることはできなかった。
『お前は……生きるのよ。新しい王とともに。一緒に連れては行かない。それが……お前の償い』
 お前の償い、とかの女は言った。間違いなく。
 ──……もしかしたら……。
 景麒は唐突に気付いた。彼女が自分を残した本当の理由を。
 ──貴女は……見たのではないですか? 残された私が、こうして苦しむことを……。
 自分を麒麟としてしか見ることがない陽子と、その陽子に恋着をする自分。まさしく予王と景麒の構図の逆転。多分彼女は見たのだ。今の景麒を。自分と同じ苦しみに、身を焦がすことになると。
 ──………これが……貴女が私に課した償いなのですね……。
 復讐ともいえるべき、償い。何故なら、景麒は陽子から逃れることはできないから。陽子が立派に国をおさめ、長い治世を誇ることになればなるだけ、景麒は陽子の傍らにともに立たねばならない。自分を麒麟以上には見ることのない、王の傍らに。
 ──……主上……貴女は……。
 景麒は目を閉じる。深く暗い底の見えない闇が景麒を包み──
 その闇の中で、予王が艶やかに笑った──。

 償い 了


裕奈美様にさしあげた景陽です。つーか、景→陽か?
ほんのり浩陽入っているところがまた、前同様、やつかさんの趣味といった
ところでせうか。(ちなみにやつかさん、祥陽も好きです。って百合かい!)
てゆーか、この景麒、このままいったら麒麟じゃなくなりそーっすな(マテ)
の前に、ホントにアレで仁獣なのか? と思う事もままありますが(笑)
しかし……全体的にアレな出来だなぁ……こんなものを、よく裕奈美様は
受け取ってくれたものだ……(しみじみ/爆)
という反省をしつつ、また機会があったら押し付けさせてもらおう(オイ!)

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