『円舞曲』





 王都、ラバナスタ――。
 その中でも王宮に近い、少々上等な宿の一室で、アーシェは小さな溜息を吐いた。
 ここへやってきたのは、モブ退治のため。以前、依頼を受けたものの、どうやらまだ自分達のレベルでは倒すのは難しいと、先延ばしにしていたモブ退治に挑戦するためだった。モブは見事に倒したが、日が暮れてしまい、一番近かったラバナスタに宿を求める事になったのだ。
 モブを退治してギルが手に入り、また良い機会だからとたまっていたおたからを売り払ったため、気が大きくなっていた一行は少々上等な宿に泊まる事にした。それがここだ。もっとも……現在一時の仲間として同行しているラーサを、安宿に泊まらせるわけにはいかないだろうという――何しろ彼は帝国の皇子だ――バッシュの無駄な気遣いと、どこでもいいから早く決めて落ち着かさせろと言うバルフレアの疲れた苛立ちと、敵国の皇子に惨めな様を見せたくないというアーシェの愚かなプライドが取らせた、と言ってもいいかもしれないが。
 現在同室である他の女性メンバー、パンネロは別室……ラーサーとヴァンの部屋へと遊びに行ってしまっており、フランは現在入浴中だ。『先に入るでしょう? 王女さま』と言われたのだが、何だかその気にならずに順番を譲ってしまった。久しぶりのちゃんとした入浴。普通ならその言葉に頷いただろうに。
「……ここからは……王宮は見えないのね……」
 少々懐が暖かいとはいえ、そう散財はできない。上等な宿の中でも少々ランクの低い部屋を選んだせいか、アーシェの居る部屋から王宮は見えず、そのことにアーシェはホッとした。だが同時にやるせない悲しさを感じる。二年前まで、当然のように暮らしていた王宮。今の自分は、そこに足を踏み入れることすらできない。そして今夜は、その姿を見る事さえも。
 ――……情けないわ……。
 人は,失って初めて、そのものの価値を知ると言う。この言葉は真理の一つだ。王宮で暮らしていた王女の自分がどれだけ恵まれていたのか、今になって解る。あのときの自分に想像ができただろうか。国を、父を、夫を失い、王宮を追われ、その王宮を目のする事すらできない場所で、想いを馳せる事になろうなど。
 ――いえ、わたしは必ずこの国を復興する。
 このままではいない。ダルマスカのものはダルマスカのものに。この国を作るのはアルケイディアの人間ではない。ダルマスカの人間だ。
 そこまで思うと、アーシェは気付いたように肩の力を抜いた。少し気を張ってしまったらしい。気分転換に少し外の空気でも吸ってこようか。
 アーシェは座っていた椅子から立ち上がる。急にいなくなっては心配するだろうと、バスルームのフランに、少し散歩に行って来るからと声をかけ、部屋を出た。
 隣の部屋からは、楽しそうな笑い声が漏れ聞こえて来る。ヴァンとパンネロ、ラーサーの声だ。あの三人は、いつのまにか旧知の友のように仲良くなっている。ヴァンとパンネロは、ラーサーが敵国の皇子であることに、それほどのこだわりを持ってはいないようだ。だが、アーシェは少し違う。確かにラーサーは良い少年だと思う。聡明で心優しく、正義感にあふれている。それが解っていても、どうしてもラーサーを前にすると、アーシェは気構えてしまうのだ。自分の国を滅ぼした敵国の皇子なのだ、と。
 ――……わたしが王女でなかったら、別だったのかしら……。
 もし、ヴァンやパンネロのような、庶民に生まれていたら。だがそんなたとえは無意味だ。アーシェはダルマスカの王女であり、それ以上にも以下にもなれはしない。また、なりたくもない。国の復興を、父の、夫の仇を取るため、それだけを思ってこの二年間、生きて来たのだから。
 アーシェは小さな息を吐くと、足を進めた。一瞬、バッシュにも声をかけるべきかと思ったが、言えばあの忠義に生きる男は付いて来るだろう。今は一人になりたかった。このは町の中。宿を出なければ、それほどの危険もないだろう。
 そう判断すると、アーシェは宿の廊下を歩き階段を降りた。宿の庭に足を踏み入れれば、乾いた風がさわさわと吹き付ける。ここラバナスタは昼と夜との寒暖の差が激しい。砂漠が近い事もあって、昼は暑いが夜は冷え込む。アーシェは軽く身を震わせながら、庭をゆっくりと歩き出した。夜空に見えるのは輝く星と月。綺麗だとぼんやりと思ったアーシェの耳に、微かな音楽が聞こえて来た。
 ――……音楽……?
 王宮に近いこの周辺は、ラバナスタでも裕福な地区に入る。どこかで宴でも開いているのだろうか。アーシェは耳をすませた。そして聞こえて来る曲にハッとする。
 ――……この曲は……。
 甦る記憶。あれは……自分が幾つの時だっただろう。家族皆が開いてくれた、幼い自分の誕生パーティ。
 それは、大々的に祝福される表向きの祝いではなく、家族だけの、こじんまりとした食事会のようなものだった。忙しい中、末っ子である自分の為に、皆が時間を調整して集まってくれたパーティ。とても楽しかった記憶は今でも忘れられない。なかなか会えない兄達が自分をかまってくれ、皆が笑顔で過ごした短い時間……。
 ――……確かあの時、父上様がわたしと踊ってくれたのが、この曲だった……。
 ワルツを覚えたての自分が、初めて練習ではなく踊った曲。それが、今流れているものだ。流れるような,優美なワルツ……。
「おい」
 と、急に声をかけられて、アーシェはびくりとした。身構えながら振り向けば、そこに立つのは仲間の空賊。
「王女さまがこんなところに一人でいていいのか? 将軍にバレたら大騒ぎだぞ」
「……バルフレア……」
 軽い口調。アーシェは何故か少し居心地が悪く感じる。この男は苦手だ。傍にいられると、気持ちが落ち着かない。不必要に緊張してしまうのだ。理由は自分にもよく解らないのだが。
「……出掛けるのですか?」
 この男が、町という場所に泊まる度に、どこかへ出掛けることは気付いている。酒と女性を楽しみ出ているのだろうということは、アーシェにも想像がついた。そう思った途端に、何故か心の奥がざわざわと騒ぎ出す。それを抑えるように、アーシェは自分の胸に軽く手を当てた。そんなアーシェの様子に気付かず、バルフレアは答える。
「ああ、ちょっとな。久しぶりの町らしい町だしな」
 それからバルフレアは、何かに気付いたように形の良い眉をひそめた。
「……何か聞こえるな」
「ええ。ワルツです。どこかで宴でも開いているようですね」
「へぇ……自国の王女様がこんなところで苦労してるってのに、いい身分の奴らもいたもんだな」
 辛辣なバルフレアの言葉に、アーシェは苦笑を漏らす。
「そのようなこと……彼らはわたしが生きていることすら、知らないのですから」
 バルフレアがちらりとアーシェに目を流した。その瞳にアーシェの鼓動が小さく跳ねる。思わず胸に当てたままにしている手に、力を込めた。
「……ま、アンタがそう言うなら、俺がこれ以上言う必要はないな」
 それからバルフレアは軽く顔を上げて。
「で、王女様はここでそのワルツとやらを聞いて、感傷にでも浸ってたってわけか」
 図星をさされて、アーシェはどう答えようか迷う。誤魔化してもきっと、聡いこの男には解ってしまうだろう。ならば。
「そうですね。昔の事を……この曲を踊ったときの事を、思い出していました」
 この言葉にバルフレアはちらりとアーシェを見る。ついでふいっ……と目をそらし。
「……旦那とか」
 フランが聞けば、このバルフレアの声に、微かな苦みがあることに気付いただろう。だが気付かぬアーシェは、少しだけ淋しそうに笑うと、答えた。
「いいえ、父です」
「親父?」
「ええ。ラスラとは……ワルツを踊る時間もありませんでしたから」
 守りきれなかった、たった一週間の夫。共に過ごした時間は、ほんの短い間だった。だが、その短さ故にか、アーシェの中には決して消えない思い出として鮮やかに残り続ける。
「……悪かった」
 そこで、バルフレアが小さく呟いた。自分が無神経な事を言ったのだと思ったのだろう。思いもしなかった素直な謝罪に、アーシェは瞳を見開き、ついで笑顔で首を振る。
「いいえ、気にしないでください。わたしは……家族以外と踊った事がないから」
 婚約者のいる王女と踊れる身分の若者は、そう多くはない。アーシェが踊った事がある相手は、実は父と兄だけ。その中でも父は、小さいアーシェをうまくリードして踊ってくれた。
 と。
「じゃあ踊ってみるか?」
「え?」
 気付けば、バルフレアが右手を差し出している。一瞬意味が解らず躊躇したアーシェに、ふっ……と笑い、返事を待たずに手を掴んだ。
「何を……」
「しがない空賊風情が、王女さまと踊れる機会はそうないだろうからな」
 掴んでいない方のバルフレアの手が、アーシェの腰に添えられ、微かに聞こえる音楽に合わせてゆっくりとステップを踏み始める。離してくれそうにないバルフレアに、アーシェは観念したようにその肩に手を置くと、自分もステップを踏み始めた。緩やかなステップとターン。それを一、二度繰り返したアーシェは、思いも寄らずバルフレアの動きが優雅で、踊りやすい事に気付いた。
 ――この人は……?
 ワルツなど、普通の人間が踊る機会はそうない。上流階級のたしなみだ。おまけにバルフレアの動きは付け焼き刃のものではなく、本当に踊り慣れているもの。そして、そのリードの仕方が上手いことは、アーシェも認めざるをえなかった。まるで、目を閉じ、身を委ねているだけでも踊れてしまうようなもの。
 ――……あの時の父上様のようだわ……。
 本当に目を閉じれば、より鮮明に甦る。あの、最初のワルツの時、ステップがうまく踏めなかったアーシェを、上手くリードしてくれた父。優しく微笑みながら『任せておきなさい』と言ってくれた言葉を思い出す。あのときの父の、大きく暖かい手のひらの感触……。
『アーシェ、いつかお前と一緒に踊る若者が羨ましいな』
 踊りながら呟いた父の言葉。あの時、自分は父の言っている意味が解らず、尋ねたアーシェに、父はどこか複雑な笑顔を浮かべながら答えてくれた。
『その中の誰かが、わたしの元からお前を奪って行くのだろうからな』
 普通なら、そうだったろう。兄が生きており、王位継承者としてではなく、ただのバナルガン家の娘として、社交界にデビューをしていたなら、きっと。こうやって、どこかの若者とワルツを踊り、その若者と……。
「おい」
 突然聞こえた声に、アーシェは瞳を開けた。と、目の前に飛び込んで来る、バルフレアの整った顔。
「!」
 過去から現実に引き戻され、アーシェのステップが乱れる。よろめいた身体を、バルフレアの腕が引き寄せてしっかりと支えた。密着する身体。今まで思い出していた父のものとは違う、若い男性のしなやかで逞しいそれに、アーシェは思わず身をよじり、バルフレアの胸に両手を当てて突き飛ばしていた。
「あ……」
 過剰な反応をした、と思った時には、バルフレアは崩した体勢を整えて小さく笑っており。
「そろそろパートナーチェンジの時間か」
「……………………」
「楽しかったぜ、王女さま」
 バルフレアは貴族の若者のように、胸に手を当てて一礼をすると、アーシェに背を向けた。思わずアーシェはその背中に呼びかける。
「あなたは!」
「ん?」
 振り返るバルフレア。アーシェは月明かりが照らし出すバルフレアの端整な顔を見つめたまま、続けた。
「あなたは、何者なのです?」
 あのワルツの踊り方は、粗野な空賊のものではなかった。確かに覚えれば踊れるものではある。だが、あれほど優雅でよどみなくは、なかなか踊れはしない。
 だが、バルフレアはこのアーシェの問いかけに、軽く眉を上げ、小さく笑っただけだった。そのまま再び背を向け、歩き出す。
「冷えて来たぞ、そろそろ部屋に戻るんだな、王女さま」
 背を向けたままバルフレアは手を振り、宿の外へと歩いて行く。アーシェはその姿が闇に融けるまで見つめていた。そして、軽く自分の二の腕を掴み、身体を抱き込む。
「……熱い……」
 先程バルフレアが触れていた場所が熱い。そして、あの腕に抱き込まれた身体が。冷たい風に吹かれて、冷え始めているはずなのに。
「……熱い……」
 月明かりの下、自分の身体を抱き締めるアーシェの耳には、ワルツが微かに響き続けていた。

 円舞曲 了
06.10.21 UP






これも一応ネタバレになるのかな?
バルの生い立ちを思えば、ワルツくらい軽く踊れるかと。
時期的には、ミリアム遺跡に行く直前くらいかな?
ちなみに、駄文内のワルツの描写は嘘八百なのでツッコミはナシの方向で。










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